仮に好意を抱いている相手に結婚したいと言われたとしても、多くの人は悩むんじゃないかと思う。
なんで悩むかというと失敗することを避けたいから。仮に結婚したとしても耐えられなくなってすぐに離婚してしまうんじゃないか。不幸になってしまうのじゃないか。失敗した結果、精神的な傷が出来てしまうし、年単位で時間を使ってしまう。収入に差がある場合は、数百万単位でお金を使う可能性もある。
人生は失敗したもん勝ちな面があるけれど、恋愛や結婚のように長引くと試行を繰り返すのが難しい類の経験は失敗の仕方を間違えるのは避けないといけない。モテるならまぁ厳しめに行けばいいし、そうでなければ緩めで行ってみるのがいいように思う。
ダメだと判断したら執着せずにすっぱり断ち切る。2度同じ失敗をしないように自分についての理解を進めて早めの判断をする。ただ、出来ることをしないで、判断してしまうと悪い癖が付くし、別れることが軽くなってしまって、人生の中で普通にあるような波に耐えられない関係性しか築けなくなってしまう。
若ければ失敗は当たり前なところがあるから、そこまで考えなくてもいいかもしれないが、年を取ってくるとそうもいかない。経験不足なので無理ではあるが、無理を承知で失敗を避ける方向で頑張るしかない。
なので結婚前に確認出来ることは出来るだけ確認しないといけないと思う。まずは「結婚」という言葉があいまいなので、同じ「結婚」をイメージ出来ているか、もしくはすり合わせが可能か、というのが最重要だと思う。
次にストレスが少なく共同生活が出来るかどうか。
最後に相互に相手に尽くすことが出来るかどうか。
他は枝葉だと思うけれど、顔とか外見は子どもに遺伝するので子どもが出来るだけ人生を楽しめる可能性を増やすために良い人を探すのもありかもしれない。子どもの知能的なものは母親に依存することが多いそうなので知能面にこだわるのもありえる。親兄弟やその居住地も利便性という意味でこだわる可能性があるし、遺産相続で老後を比較的楽に過ごしたいなら、実家が太いというのもポイントかもしれない。介護の有無は人生の多くの時間の使い方にかかわるので、意外に大事かもしれない。
とはいえ、最初の3点。結婚のイメージが合っていて、ストレスなく生活出来て、相手に尽くせるかが確認のポイントだと思っている。
ただ、それをどうやって確認するかというと難しいところがある。合理的に判断可能な部分はその能力さえあれば、すり合わせが出来るので問題にはならない。事前に自身の確認ポイントを一覧にして相手に確認すればいい。確認の仕方は会話の中でそれとなく、少しずつ。最後にリストを実際に見せて最終確認というのが理想な気がする。
本当に問題になるのは非合理的な部分。例えば実家にお邪魔してお仏壇に挨拶をしてくれるとか(今日日、仏壇ない家の方が多いけど)。個人的には人は死んだら無になると思っているのでお墓とか仏壇とかに興味はないが、相手が大事にしているものを大事にすることは大事だし、そのための行動は先祖崇拝とはまた別なものであると思う。
もっと日常的な話であれば、夜は電気が点いていないといないと怖くて眠れないとか、食事を残すのが許せないとか、茶碗に米粒が付いているのが許せないとか、合理的に考えれば大したことではないけれど、それを侵食されるととても強いストレスを感じてしまうような、そういう拘りがある場合だ。
得てして、本人はそういう拘りについて軽視しがちで、すり合わせをするときに意識にあがらず、話題にならない。そのため、同居してから問題に気付くということがある。そして問題に気付いたとしても、大したことではないと思って、我慢したり放置して、火種になる。
なので本来的には、お試し同棲をして、後に入籍やお金や手間の掛かる諸々をすればいいのだが、それはそれで本気で一緒に生活してからでないと起きない衝突というものがあり、段階を踏むことで回避できるリスクというのは高が知れている。子どもが出来た時、親の介護の時、病気の時、それぞれでリスクがあり、それぞれでストレスがあり、それぞれで段階を踏むことは現実的ではない。
そのためプロポーズ後は段階を踏まずに結婚するのが一般的なのだろう。ただ高額の結婚式をやる場合は同棲をした方がいいように思う。出席者も多く、影響も多いので。
と色々と考えてきたが、話合ってすり合わせすのは仮定の話をするということなので、とても難しいことだと考えている。話をした段階では深く考えることが出来ず、問題ないと思ったけれど、実は耐えられなかったとかそういうことがいくらでも発生する。
なので、そういう話をちゃんと出来るだけのスキルを持っている人であることが結婚の最低限の条件になるんじゃないかと思っている。で、この条件をクリアする人がどれくらいいるのかというとかなり少ないように思う。特に相談所にいるある程度の年齢層の人は、失敗を繰り返したか、未経験の人なので、そういう人の割合は日本人全体よりもより少なくなるだろう。
仮交際は候補の可能性がありそうな人、真剣交際は結婚のイメージが一致していて、話し合いが出来そうな人、成婚はある程度話し合いが終わった人とするものだと個人的には思う。なので、今後、真剣交際に進むかはこの辺りを確認したい。
ちなみに、当たり前だが、ここに書いていることは私の考えで、私の場合の話。感性とか感受性とかいう都市伝説も信じているので、そういうものが豊かな方はそこで直感するのだろう。結婚は決意であり約束であり、やり遂げるものだという信念によって家柄や収入、外見といった条件が伴っていれば誰とでも出来るものという信仰もありえると思う。夫婦は他人であり相手を理解する必要はなく共同で子どもを育てる以外は良くて友人程度の仲で良いという考えもありえると思う。同性を含め友人レベルで結婚して子どもを育てないというのもありえる、一緒に生活はせず、時々会う程度の結婚もありえるだろう。「結婚」というのは所詮は制度でしかなく、その上に乗っかっている関係性は無数にある。それらを否定するわけではなく、私が持ちたいと思っている関係性とは違うというだけ。
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