買い物をする。
同じような商品がいっぱいある。
比較する。
一長一短でどれを買うべきか悩む。
決めるのに〇時間も掛けて、やっと買う。
商品が手元に来る。
満足して悩んだことなど忘れる。
ただし、多少の不備なんて気にしないことが多くて
正直どれを買っても同じだったような気がすることが多い。
それと同じことが婚活でも起こっていると感じる。
違いがあるとすれば、ここで言うところの商品に拒否されるという事象が発生するところ。
しかも、一人一人千差万別で、良し悪しに明確な基準が存在するわけではない。
自分なりに基準を持ったとしても家庭、伴侶というものを持ったことがないから、空想でしかない。
普通の買い物に比べて非常に難易度が高い。
この問題を解決する方法は3つしかないと思う。
1, 直感力に従う
2, 誰かの意見に従う
3, 基準を明確にし、分析・検証して結論を出す
自分には、1は無理だ。自分の直感なんて信じられない。
2は無理だ。人に大事な決断を任せるなんて出来ない。
なので、3しか選択肢がない。
でも、秘書問題のように、次にもっと良い人がいるかもしれないと悩む。
自分の価値もよく分からない。
自分が熟練しているから、時間と共に良いお相手と出会えているように感じる。
その最中なんではないかと思う。
自分がどんな人と結婚したいのか的な基準も決められていない。
せっかく結婚するからには子供が欲しい。
お相手に惚れられるような魅力的な方であればなおよいけれど、
そもそも惚れたことがないのでこれは高望みだろう。
恋愛感度、感受性を高めるのが本来の手順であって、急がば回れ的な意味でも、
急いでしまっているのかもしれない。
もっと具体的に考えると、考えることが出来る人、タフな人、意見を言える人がいいと
思っている。そういう人と自分が合うのかどうかは別だ。
それでも、最低限この条件はクリアして欲しい。
すぐ諦めるような人や、ある程度自分の意見を言えないと、たぶんイライラしてしまう。
一言で言うと、人間として尊敬出来ればたぶんいい。
問題になるのは、お相手から見て、自分は結婚の相手に成り得るのか?
尊敬の軸がずれればあり得るのかなと考えている。
ただ、軸が違っても尊敬されるような何かは持っていないといけない。
そのために、自分磨き(というか一般人並みに仕事以外で努力すること)をしないと。
その進捗と年齢、最良の結婚の期待値をグラフにして、
期待値が最大のところが今なのか、もっと先なのかでたぶん悩んでいるのだろう。
そしてそれはたぶんもっと先何だと思う。
ただし、可能性は可能性であって、もっと良いものが可能性の中にあったところで、
問題になるのは、後悔するかどうか、だけだと思う。
自分は一度選んで買ったものは、基本的に後悔はしない。
したとしたら、そもそも買わないと分からないことでしか後悔しない。
そうなると、とりあえず結婚してみて、ダメだったら再婚するのが良いのかも。
ただ、そうなると子供が出来たりすると離婚時に養育費だとか慰謝料だとかを
払うことになり、金銭的に大きな出費になる。
おいそれと出来るものではない。事実婚とかであれば、そのリスクは回避できるけれど、
それに同意してくれるお相手を見つけるのはハードルが高すぎる。
そのせいで結婚は慎重になる。
フランスはその点、結婚の前段階があるそうなので、良くできている。
結婚って、思慮深い大人にしか許されない高度な判断のような気がする。
もしくは周りの思慮深い人たちが決めるしかない。
そうでない場合、不幸になることが多々あるように思う。
皆しているから、と言っても、皆幸せなわけではない、
子はカスガイというけれど、そうでもないと、そういうプラスアルファがないと、
結婚で幸せになることは、難しいのではないかと。
昔はもっと規範が厳密で一般的で画一的だったので、
不幸だとは感じなかったかもしれない。
いまは、もっとしっかりと幸福・不幸が実感可能な社会になっている。
離婚のハードルも低い。困難さが高まっている。
よくよく考えてお相手のことも、自分のことも把握して、納得できるものとしたい。
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